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東京高等裁判所 平成3年(う)563号 判決 1992年8月26日

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

理由

検察官の控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官北島敬介名義(東京高等検察庁検察官渡部正和提出)の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人保持清名義の答弁書及び被告人名義の答弁書に、被告人の控訴の趣意は、弁護人保持清、同一瀬敬一郎、同山下幸夫連名の控訴趣意書及び被告人名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官玉井直仁名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一  本件各公訴事実と原判決の認定事実

一  本件各公訴事実

被告人に対する平成元年一二月七日付起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、田中一郎ほか数名と共謀の上、昭和六三年一二月五日午前五時ころ、東京都東大和市<番地略>高木駐車場において、同所に駐車中の株式会社加藤製作所(代表取締役加藤清)所有にかかる普通乗用自動車一台(時価約一五〇万円相当)を窃取したものである」というのであり、同平成元年一二月二七日付起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、田中一郎ほか数名と共謀の上、昭和六三年九月二一日午後七時ころ、千葉県千葉市<番地略>アパート「フラット祐光」前路上において、帰宅途中の千葉県収用委員会会長小川彰(当五八年)に対し、同人の身体を路上に押さえつけ、所携の鉄パイプ等でその両腕、両下腿部、顔面等を殴打する暴行を加えて同人の反抗を抑圧した上、同人所有の現金合計約四六万一、五五〇円及び訟廷日誌等一五点在中の手提げカバン一個(時価合計約二、〇〇〇円相当)を強取し、その際、右暴行により、同人に全治不詳の両下腿骨開放性骨折、左撓骨骨折、右肘部挫創等の傷害を負わせたものである」というのである。

二  原判決の認定した事実

原判決は、平成元年一二月七日付起訴状記載の窃盗の公訴事実については、「罪となるべき事実」の第二として、これと同旨の事実を認定したが、同月二七日付起訴状記載の強盗傷人の公訴事実については、被告人の行為は強盗傷人の共謀共同正犯に当たらず、幇助犯となるに過ぎないとして、「罪となるべき事実」の第一において、次の事実を認定、説示した。すなわち、被告人は、いわゆる中核派革命軍に所属している者であるが、

「同じく中核派革命軍に所属する田中一郎(以下「田中」という。)ほか数名が、新東京国際空港建設工事に反対し、同工事の進行を妨害するため、同工事に重要な役割を果たす千葉県収用委員会会長を襲撃して傷害を負わせた上所持品を強取しようと企て、共謀の上、昭和六三年九月二一日午後七時ころ、千葉市<番地略>アパート「フラット祐光」前路上において、帰宅途中の当時の同会長小川彰(当時五八歳)に対し、いきなり同人に組み付いて転倒させ、その身体を路上に押さえ付け、所携の鉄パイプ等でその両腕、両下腿部、顔面等を数回殴打するなどの暴行を加えて同人の反抗を抑圧した上、同人所有の現金合計一六万一五五〇円《当審注、「四六万一五五〇円」の明白な誤記と認める。》及び訟廷日誌等在中の手提げ鞄一個を強取し、その際、右暴行により、同人に加療約五六〇日を要し歩行機能障害等の後遺症の残る両下腿骨開放骨折、左撓骨骨折、右肘部挫創等の傷害を負わせた強盗傷人の犯行に先立ち、右小川彰を撮影したフィルムを現像して焼き付けるため、同年八月二〇日ころ、当時神奈川県横須賀市に居住していた田中に連絡をとった上、右強盗傷人を主導した他の共犯者にフィルム等の運搬役として引き合わせたり、同月三〇日ころ、田中が神奈川県相模原市において、焼き付けた写真を右共犯者に受け渡す際の案内をしたりするなどして、犯行の準備行為である右小川彰の写真の現像、焼き付けに関与して右犯行を支援し、かつ、同日ころ、右共犯者とともに、田中に対し、右強盗傷人の犯行計画に参加するよう指示し、もって、田中ほか数名の者がなした右強盗傷人の犯行を容易ならしめてこれを幇助し」たというのである。

第二  本件各控訴の趣意及び当裁判所の判断

検察官の控訴の趣意は、原判示第一の事実につき、被告人は幇助犯ではなく共謀共同正犯と認めるべきである、弁護人及び被告人(以下「弁護人ら」という。)の控訴の趣意は、原判示第一、第二の各事実につき被告人は無罪である、としていずれも原判決の事実誤認を主張し、その破棄を求めるものである。

しかし、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、原判示各事実はこれを肯認するに十分であり、その他、原審の記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、原判決の証拠の取捨、推理判断の過程に誤りがあるものとは認められない。以下、各論旨についての判断を詳述する。

第三  原判示第一(強盗傷人幇助)の事実に関する弁護人らの論旨について

論旨は、要するに、原判決は、原審第六回ないし第八回公判調書中の証人田中一郎の各供述部分(以下「田中供述」という。)によって、被告人が本件強盗傷人の犯行に関与したとする個々の事実を認定し、これらの事実を根拠に幇助犯の成立を認めたが、田中供述は種々の問題点を包含していてその信用性は極めて疑わしく、同供述に現れた被告人の関与行為はこれを認めるに由ないところである。仮に、そのような関与行為が認められるとしても、各関与行為がなされた当時、正犯者の間で、幇助の対象となるべき本件強盗傷人計画は未だ具体化していなかったのであるから、被告人が正犯の実行行為を表象してこれを幇助する意思、すなわち幇助の故意を生ずる余地のないことは明らかであり、これらの関与行為から幇助犯の成立を認めた原判決は事実を誤認したものである、というのである。

ところで、所論関与行為に関連して、原判決は、主として田中供述に依拠しつつ、理由中(補足説明)と題する項の三の1に本件の事実経過を認定しているが、その要旨を摘録すれば次のとおりである。

ア 被告人は、遅くとも昭和六二年夏以降、中核派革命軍対人闘争部隊の中の一つの班(以下「N班」という。)を率いる班長であり、田中はその班員であった。

イ 被告人は、昭和六三年八月二〇日ころ(以下、特に年次を明示する場合以外は、月日の記載は昭和六三年中のそれを表す。)、他のN班員(田中供述における「D」。原判決にいう「甲」。以下、本判決においては、関係者の仮名を表す符号は田中供述中のそれによることとし、原判決がこれと異なる符号を用いている場合には、適宜これを併記する。)と共に神奈川県横須賀市内のアジトで生活していた田中を茨城県下妻市内のファミリーレストランに行かせた上、電話口に呼び出し、翌日同県鹿島郡神栖町所在の「カスミストア」前で待機するよう指示した。

ウ 田中は、右指示された場所に現れた他の中核派構成員の案内で、千葉県銚子市内の君が浜キャンプ場に行き、中核派構成員数名と二、三日過ごした後、革命軍対人闘争部隊の他の班の班長(以下「A」という。原判決にいう「乙」)から、フィルム一本と封筒を渡され、横須賀のアジトに帰って封筒をDに渡し、Dと共に同フィルムを現像して焼き付けるよう指示された。

田中らが、右指示に従ってフィルムを現像して焼き付けところ、人物が写ったもの二枚と家屋が写ったもの一枚の写真ができた。

エ 田中が、同月三〇日ころ、組織からの指示に従い、右写真三枚を持って神奈川県相模原市の東日本旅客鉄道株式会社相模線上溝駅付近に赴いたところ、被告人が同所におり、田中を忠実屋上溝店駐車場に連れて行った。

田中が、同所に駐車させた自動車内で待っていたAに写真を手渡したところ、被告人は、Aと共にその写真を見た上、Aが田中に対し、「明日から仕事をしてもらうから。」と言ったのを受けて、「そういうことだから頑張ってくれ。」と声をかけた。

オ 田中は、翌日以降、他の中核派構成員らと共に、Aの主導のもとに、千葉県収用委員会会長小川彰(以下「小川会長」という。)の動静観察や民宿等に合宿して襲撃訓練などをしたのち、九月二一日、Aを除く数名と共に本件強盗傷人を実行した。

カ 同月二二日、田中が、前々日受けた指示に従って埼玉県飯能市内のファミリーレストランに行ったところ、被告人がおり、「仕事は終わった。作戦は成功だ。」と告げ、田中が本件強盗傷人前にAに預けた所持品を田中に引き渡した。

これに対し、所論は、田中供述の信用性を全体として争うのみならず、個々の関与事実の認定及び関与事実からの幇助犯成立の判断についても種々論難するので、以下、項を分けて検討する。

一  田中供述の信用性を争う所論について

1 所論は、田中供述全体の信用性が極めて低いとして、その所以を縷々主張する。

しかし、原判決が田中の供述が信用できる理由として説示した事項、殊に、田中は自らの罪責を認めた上で、自らが本件強盗傷人に加わった経過を説明する中で被告人の存在や果した役割について言及しているものであること、田中の述べる被告人の役割ないし刑責と田中のそれらとは相互独立的なもので、田中が被告人の果した役割等について述べたからといって、直ちに田中の刑責が軽減される関係にはないこと、田中は、中核派の組織、活動状況、被告人の役割等について供述することに後ろめたさと報復の不安を覚えており、できることなら被告人の役割等については供述しないで済ませたい気持ちであったことなどから判断すると、田中が故意に被告人に不利な供述をしたとは到底考えられず、その真摯性に疑いを差し挟むべき事情は何ら見出すことができない。それ故、田中供述は、一部に記憶の不確実な部分が存することを除けば、十分信用に値するものと認めれる。

2 所論は、田中が、捜査段階においては、現像した写真を持って横須賀のアジトを出て忠実屋上溝店の駐車場に至り、Aに写真を渡すなどした後、本件強盗傷人の現場責任者となる者(以下「甲」という。)と共に車で野田市に向かって出発したのを八月三一日限りの一日の出来事として述べていたのに、原審公判廷では、写真を持って忠実屋上溝店駐車場に行ったのを同月三〇日のこととし、当日は秦野市のアジトに泊まり、翌日、忠実屋上溝店駐車場で甲と会い、車で野田市に向かった旨、二日間の出来事として述べたことを取り上げ、右は、田中が捜査段階で取調官に迎合して虚偽の供述をしたものの、横須賀のアジトを出発して野田市に至るまでのことを一日の出来事とするのは物理的に無理があるため、原審公判廷では、実現可能な内容に供述を変更したのではないかと考えられ、田中供述は全く信用できない旨主張する。

そこで、原審記録に当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、なるほど、田中供述の忠実屋上溝店駐車場における関係者との接触状況に関する部分は、捜査段階の供述を大幅に変更したものであることが窺われる。しかし、田中は、右供述変更の理由について、概ね次のように供述している。すなわち、忠実屋上溝店駐車場は何回か利用したことがあり、記憶が重層して捜査当時から少し不透明な気がしていたが、自分の裁判が終わってほかのことを考える余裕ができ、また、被告人の裁判で証言すべき立場になったことから、捜査段階の自分の供述に誤りがないか点検したところ、従前八月三一日の一日だけの出来事と述べていたのは誤りで、実際は同月三〇日と三一日の二日間の出来事であったことを思い出した。それは検察官から時間的矛盾を指摘されたためではなく、自分の方から誤りを申し出たものである、今では公判廷の供述が正しいと確信している、というのである。右の説明は十分納得できるところである。所論は、このように重要な事項について、捜査段階で記憶がなく、証言の時点で初めて思い出したというのは極めて不自然であり、信用性がないと主張するが、忠実屋上溝店駐車場における被告人やAとの接触状況は、実行正犯である田中自身の刑責を決する上では比較的重要性が薄いものであるから、田中が、被告人の裁判で証言する立場になってから改めて事実の経過を慎重に再検討したということには合理性が認められる。所論は採るを得ない。

3 また、所論は、田中は、原審第五回公判廷で、組織からの報復の虞を理由に頑なに証言を拒否し続けたのに、第六回公判期日以降は一転して詳細な供述をしているところ、このように態度を変更した理由として、前示忠実屋上溝店駐車場の出来事に関する記憶の誤りに気付いたことを挙げているが、右のような態度変更の理由としては甚だ不自然であり、田中供述の虚構であることを示すものである、と主張する。

原審記録によれば、所論のような審理経過及び供述が認められるところ、確かに、忠実屋上溝店駐車場の出来事に関する捜査段階の供述の誤りに気付いたため、これを訂正する必要を感じたというだけでは、自己及び家族の身体生命に対する危険を理由に証言を拒絶した態度を一変させる理由として、一見、いささか薄弱であるかの如くであり、また綺麗事に過ぎる感を免れない。しかし、原審記録によれば、田中の証言拒絶に対しては、第五回公判期日において休廷中に証言に応ずるよう裁判所から説得がなされているほか、公判期日外においても、検察官及び弁護人が交々説得を続け、次第に田中の態度に変化がみられた経過が窺われる。そして、田中が説得に応じて証言するかどうか迷っている矢先に、捜査段階の供述に誤りのあることに気付いたとすれば、そのことが契機となって証言に応ずる決意を固めるということは十分あり得ることである。この場合、態度変更の理由を問われれば、田中が原審公判廷で供述しているように、捜査段階の供述の誤りに気付いた点を決定的な動機として挙げることになるから、そのことをもって態度変更の理由として不自然であり、田中供述が虚構であることの証左であるということはできない。この所論も採用できない。

4 次に、所論は、捜査段階において、田中に対し、捜査官から被告人を有罪にするための誘導が行われ、田中はこれに迎合する供述をしていたものであり、そのことは、特に忠実屋上溝店駐車場及び「すかいらーく」飯能店における被告人やAの発言内容に象徴的に現れているばかりか、田中が、捜査段階以来、被告人以外の関係者については全く実名を挙げていないことからも十分窺われるというのである。そして、所論は、捜査段階における「作戦」をやるから私の「指揮下」に入れという表現が公判廷供述では「仕事をしてもらう」と変わったり、捜査段階における「任務は解除する」という表現が公判廷供述では「仕事は終わった」と変わっている例を指摘する。なるほど、捜査段階における表現の方が組織性を強く表すニュアンスを有することは否めないが、実質的な意味内容としてはそれほど違うものではない。そして、供述調書が、供述者の述べた言葉を文字どおり録取するものとは限らず、録取者において、意味内容を変更しない限度で、供述者の真意を最もよく伝えると考える表現に置き換えることも有り得ることからすれば、これらの表現上の差異をもって直ちに田中が捜査官に迎合した証左とすることはできない。仮に、捜査段階における表現に捜査官の被告人に対する意図的な作為が含まれていたとしても、本件で証拠となるのは田中の公判廷における供述であり、そこでは捜査官による作為の含まれない田中自身の言葉によって供述がなされているのである。また、当時被告人以外の本件関係者は逮捕されていなかったのであるから、田中が、それらの者の実名を明かすことによって新たな逮捕者を出さないよう配慮するのは当然のことであって、特に被告人を有罪にするために捜査官に迎合したというのは当たらない。

5 また、所論は、田中が、捜査段階においていわゆる浅草橋駅襲撃事件に参加したことを自供していたのに、右事件について起訴されていないのは、本件強盗傷人事件を自供させるための利益誘導ないし取引の存在を疑わせると主張するが、そのような取引は田中自身否定しているのみならず、浅草橋駅襲撃事件について田中が自供しているといっても、当時の関係者の供述などによって、右自供に公訴維持に耐えるだけの補強証拠が得られていたかも定かでないから、不起訴の理由を直ちに取引などと結びつけることは当を得ない。

6 更に、所論は、田中が、①八月二〇日前後ころ、早朝横須賀市内のアジトを出発し、バスを乗り継いで、その日のうちに茨城県石下町辺りの鬼怒川河川敷に至ったと供述している点、②九月二二日、東京都大田区蒲田のビジネスホテルを出て、バスを乗り継ぎ、同日午後三時ころ、飯能市内のファミリーレストランに至ったと供述している点、③一二月三日、神奈川県平塚市のサウナを出て、バスを乗り継いで、その日の午後早くに東京都青梅市に至ったと供述している点も疑わしい旨主張する。

しかし、原審において取り調べた関係証拠(なお、検察官作成の平成四年一月二七日付弁護人の証拠調べ請求に対する意見書添付の資料1ないし4参照。)によれば、バスの時刻表上は田中の供述するような行動が可能であることが認められる。しかも、田中は、横須賀から下妻に至るまでについては、二泊した可能性も完全には否定していないのであるから、右のようなバスを乗り継いでの行動が時間的に余裕のないものであるにしても、そのことが直ちに田中供述全体の信用性を損なうことになるとは思われず、所論は採るを得ない。

二  被告人の関与行為についての原判決の認定を争う所論について

1 所論は、フィルムの受渡しに関する原判決の事実認定に関し、以下のように主張する。すなわち、原判決は、被告人が、八月二〇日ころ、田中を茨城県下妻市内のファミリーレストランに行かせた上、電話口に呼び出し、翌日同県鹿島郡神栖町所在の「カスミストア」前で待機するよう指示したとの事実を認定した上、この事実は、被告人がこの時点で既にAを中心とした本件襲撃計画が存在することを知りつつ、その準備行為の一つとして、田中にフィルム等の受渡しをさせるべく同人をAに引き合わせたものである旨判示している。しかし、田中供述によっても、当時既にそのような襲撃計画が存在したか否かは明らかでなく、被告人がその存在を知っていたとは認め難い。また、本件強盗傷人を主導したAとしては、田中と接触し、フィルムの現像焼付けを依頼するつもりで、被告人に田中への連絡を依頼したものとしても、機密保持上、被告人とは、田中との接触方法についてのみ打ち合わせれば済む理であり、現に、フィルムの現像焼付けの指示も、被告人を介することなく、Aから田中を通じDに対してなされていることなどからしても、被告人は、田中を茨城県方面に向かわせる目的については聞かされておらず、本件強盗傷人を幇助する意思もなかったというべきである、などというのである。

しかしながら、田中が、八月二〇日ころ被告人の指示を受けて茨城県方面に向かってから、同月三〇日ころ現像した写真をAに渡すまでの一連の経過、被告人の本件強盗傷人前の各関与行為及び本件強盗傷人の翌日の言動等から、所論指摘のように推認した原判決の判断は、十分首肯することができ、所論のような誤りがあるとは認められない。すなわち、Aと被告人は共に中核派革命軍の班長であり、被告人には中核派構成員としての長い履歴があること、Aがフィルムの運搬、現像・焼付けなどを依頼した田中やDはいずれもN班の班員である上、そのアジトで現像・焼付けが行われていること、被告人の田中への連絡・指示が暗号を使うなど過剰とも思えるほど慎重になされていること、田中が現像した写真をAに渡すのにも被告人が立ち会っていること、Aから田中への本件襲撃計画への参加指示は、右写真授受の際、被告人の立会いのもとでなされ、同計画実行後の任務解除は、被告人が行っており、いずれの場合にも、被告人は、本件襲撃計画の存在を知っていることを窺わせるような発言をしていること、田中は、Aと接触し、フィルムの運搬等を指示される過程で、何らかの作戦が進行中であることを感じ、託されたフィルムを現像・焼き付け、人物の写真ができたのを見て、この人物の襲撃計画の存在を推測し、この写真をAに届ける際には、直ちに襲撃計画の実行に従事することになるのではないかと考え、荷物を纏めてアジトを出ていること等から判断すると、八月二〇日ころの時点で既にAを中心とした本件襲撃計画が存在し、被告人はそのことを知った上で、その準備行為の一つとして田中にフィルムの受渡しをさせるべく田中をAに引き合わせたものと推認した原判決の判断は正当として是認することができる。

2 更に、所論は、忠実屋上溝店駐車場における被告人の指示に関する原判決の事実認定に関し、以下のように主張する。すなわち、原判決は、八月三〇日ころ、忠実屋上溝店駐車場において、Aが田中に対して新たな任務に就くべきことを告知したのに続いて、被告人が「そういうことだから頑張ってくれ。」と声をかけて、本件襲撃計画への参加を指示したと認定したが、八月三〇日・忠実屋上溝店駐車場での場面は、田中が供述を大きく変更した部分であり、この場面に関する田中の供述はとりわけ信用できないから、田中供述によって原判決が認定したような被告人の関与行為を認定することはできず、また、田中は、Aの指示により焼き付けた写真をAに届けるため同所に赴いたのであるから、被告人がその場にいなければならない必然性もなく、被告人の存在と発言についての田中供述は、被告人を本件強盗傷人に巻き込むための虚言であるか、そうでないとしても、混乱した記憶から適当に合成したものであるなどというのである。

しかし、田中が自己の記憶に反してまでも、被告人に不利な虚偽の供述をするとは考えられないことは、既に詳細説示したところである。八月三〇日から翌三一日にかけての忠実屋上溝店駐車場等での出来事に関する田中の供述に変更があったことは事実であり、その原因は田中の記憶の混乱にあったものと認められるが、同駐車場において、Aが田中に対し、新たな任務に就くべきことを告知したのに続いて、被告人が田中を激励する趣旨の言葉をかけた点については、田中の捜査段階の供述と原審公判廷での供述との間に何ら変更はないことなどに照らすと、右の点に関する限り、田中の記憶の不確実性についての懸念もないというべきである。したがって、原判決が、田中供述によって、八月三〇日・忠実屋上溝店駐車場での被告人の関与行為を認定したことは正当であり、被告人の関与行為についての田中の供述が虚偽ないし記憶の混乱によるものであるという所論は理由がない。

三  原判決による被告人の犯意の認定及び関与行為の評価を争う所論について

1 所論は、八月三〇日ころ田中がAに渡した写真は不鮮明で人物特定の用をなさなかったことや、田中が、襲撃対象が小川会長と知らされたのは九月一日ころであり、それ以降、小川会長の動静観察、襲撃参加者とその役割の発表などがあり、襲撃計画が具体化していった経過などからすると、八月二〇日や同月三〇日の段階では本件襲撃計画はまだ具体化しておらず、被告人がこれを知ることはあり得なかったなどと主張する。

しかし、八月二〇日ころの時点で既にAを中心とした本件襲撃計画が存在し、被告人がそのことを知っていたと認められることは既に説示したとおりであ。所論にかんがみ、説明を付加するに、押収してある八月八日付「前進」一三九六号<押収番号略>及び九月一二日付「前進」一三九九号<押収番号略>並びに小川供述によれば、中核派では、昭和六三年夏ごろには、新東京国際空港拡張工事のため、同年秋にも千葉県土地収用委員会の裁決手続が開始されるのではないかと予測し、これを何としても阻止しなければならないと考えていたことが窺われる。本件強盗傷人は、中核派ないしその革命軍が右考えに従って実行したものと推測されるが、これだけの重大犯罪を実行する以上、その目的を最大限に達成し、かつ、検挙を免れるため、決行の時期やそこに至るまでの段取り等については、予め十分な検討が加えられたものと考えられる。したがって、所論のように、いわば成行き的に九月二一日に本件強盗傷人が実行されたものとは到底思われない。そして、田中供述によれば、田中は、八月三〇日ころ、Aから本件襲撃計画への参加を告げられ、同月三一日ころ、班員クラスと思われる甲から、写真の人物の襲撃作戦が進行中であり、犯行現場での指揮は自分(甲)が執ることになる旨告げられていること、田中は、九月一日ころ、千葉県内の民宿で、本件強盗傷人時、現場で見張りをした者(以下「乙」という。)や小川会長の手足を押さえるなどの役をした者と一緒になり、乙から、明日から小川会長の偵察に行くべきことを告げられていること、同月二日、田中が小川会長の動静観察のため同会長宅近くの廃屋アパートに行くと、本件強盗傷人の犯行時に電話線の切断役をした者と自動車の運転をした者(以下「E」という。原判決にいう「丁」)がいて、田中らと交代に出て行ったことが認められ、これらによれば、八月末ないし九月初めには既にかなり具体的な襲撃実施計画が存在し、それに従って、小川会長襲撃計画に参加する者らの人選が進み、現場責任者が決定され、組織の連絡網を通じて参加者や協力者らが集められ、各人に具体的準備作業が割り当てられ、組織的取組みが開始されていたことが窺われる。そして、この事実や、その後、同月八日ころまで交代で小川会長の帰宅時刻等の観察が続けられ、同月九日ころ、Aから実行メンバーが明らかにされ、同月一五日ころには、参加各人の役割の発表があり、役割に従っての襲撃訓練などを経て、同月二一日本件強盗傷人が実行された経過並びに八月三〇日ころ及び同月二〇日ころにおける前記被告人の関与行為から判断すると、同日ころには既にAが中心になって小川会長を襲撃する計画が存在し、被告人がそのことを知っていたことが優に推認されるのであって、所論指摘の、写真が不鮮明であったこと、田中が襲撃計画の対象者を知った時期、その後、本件強盗傷人までの一連の経過等は、右認定と矛盾するものとは考えられず、所論は採るを得ない。

2 更に、所論は、被告人の襲撃計画についての認識の内容・程度を問題とし、これまで中核派が公的機関の要人を直接襲撃したことはなかったから、中核派が他の党派を襲撃した過去の例は参考にならないのに、原判決が、過去の対人襲撃事例を根拠に、被告人には、本件襲撃計画が被害者の所持品をも奪取する強盗傷人を内容とするものとの認識があったと推認したのは誤りであると主張する。

しかし、中核派革命軍が対人攻撃を行うに際し、被害者の所持品を奪取するのは専ら情報収集を目的とするものであるから、その必要性は対立党派の人物を襲う場合と収用委員会会長を襲う場合とで異なるところはないと考えられる。したがって、被告人の右襲撃計画についての認識は、強盗傷人を内容とするものであったと推認した原判決の判断は正当であり、所論は採るを得ない。

3 次に、所論は、被告人の各関与行為を幇助と評価した原判決の判断について、以下のように主張する。すなわち、原判決の認定した被告人の各関与行為がなされた段階ではまだ本件強盗傷人計画そのものが存在しなかったから、被告人にこれを幇助する意思が存在しなかったことは勿論、被告人の関与行為の一つは、田中に対し「カスミストア」前に行くようにとの指示をしただけであり、その二も、Aの指揮下に入るようにとの指示以上のものとは思われないから、被告人のこれらの行為をもって本件強盗傷人を幇助したというのは誤りである、というのである。

しかしながら、被告人の各関与行為がなされた段階では既にAが中心になって小川会長に対し強盗傷人に及ぶ本件襲撃計画が存在し、被告人がそれを知って、この犯行を容易ならしめる意思で各関与行為に及んだとの原判決の認定が首肯できることは既に説示すしたとおりである。そして、そうであるからには、原判決が、その認定した被告人の各関与行為について、その説示するような意味において本件強盗傷人を幇助したものであるとした判断は正当であり、所論は採るを得ない。

四  結論

以上のとおり、被告人の各関与行為を認定し、これらが本件強盗傷人を幇助するものであるとした原判決の認定判断は、正当として是認することができ、所論のような事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

なお、被告人名義の控訴趣意書中には、捜査段階における被告人逮捕の違法をいう部分があるが、それが刑訴法の定めるどの控訴理由に該当するかを明示していない。被告人は、捜査段階においては自白をしていないから、自白調書の任意性を争う趣旨とは認められないので、捜査の違法を理由とする公訴権濫用の主張(刑訴法三七八条二号、三三八条四号)と解するほかないが、本件各公訴は、それぞれ適法な逮捕、勾留手続を経て提起されており、これに先立つ被告人の身柄拘束に仮に所論の違法があったとしても、そのことに対する損害賠償などの民事的救済を求めるのは格別、そのことの故をもって本件各公訴提起がその効力を失うべきいわれはない。所論は採用の限りではない。

第四  原判示第一(強盗傷人幇助)の事実に関する検察官の論旨について

論旨は、要するに、原判決は、被告人の本件強盗傷人への関与の事実を認めながら、被告人が強盗傷人の事前謀議に参画したと推断するに足りず、かつ、被告人の関与行為は、実行行為と同一視できるだけの重要性・不可欠性を有しないとして、被告人につき共謀共同正犯の成立を否定したが、本件強盗傷人の集団犯罪としての特殊性、被告人の地位、役割等に照らせば、被告人が共謀共同正犯としての責任を負うべきは当然であるから、被告人を幇助犯と認定した原判決は事実を誤認したものであり、この誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。以下、個々の所論につき順次考察する。

一  被告人が班長会議等を通じて事前謀議に加わっていたとの所論について

所論は、以下のように主張する。すなわち、中核派革命軍の対人闘争においては、事前に襲撃対象に対する綿密周到な調査活動がなされ、班長会議を通じて具体的計画が立案され、上層部の許可を得て実行に移す手順が踏まれるところ、被告人は、中核派革命軍の班長であり、本件襲撃計画においても班長会議を通じて具体的計画の策定に加わって事前謀議に関与したと認められ、小川会長の写真の現像・焼付け等の調査活動においても、本件強盗傷人を主導したAとの間において十分な意思の連絡を取り交わした上で周到な調査活動にたずさわったものと認められるから、被告人は本件強盗傷人につき共謀共同正犯の責任を負うべきである、というのである。

そこで、検討するに、田中供述によれば、中核派革命軍の対人襲撃では、まず襲撃対象となる人物の各簿が上層部からAに示され、Aが中心になって班長クラスの者が調査したり、協議したりして、襲撃対象を特定し、計画を立案し、上層部の許可を得て実行に移す、というのである。しかし、それは、昭和六二年一二月中旬ころ、田中が被告人の指示を受けて、Aの指揮の下に革マル派の活動家に対する襲撃計画に参加した際にAから聞かされた話であって、田中自身が直接体験したものではない。そして、右の話に出てくる班長の調査や協議などが実際にどのように行われるか、たとえば、所論のように「班長会議」と呼び得るような会議体を構成するのか(中核派の公然組織には「キャップ会議」と呼ばれるものがあり、非公然組織に移る前には田中も班長の一人としてこれに参加していた。)、Aが中心となって、調査項目や協議事項ごとに必要な限度の班長と個別的に連絡を取るような形で行われるのかも定かでなく、更に、班長レベルより高次の「上層部」ないしは「中央」の組織構成も不明であり、班長レベルでの立案が、実質的に最終案に近いのか、「上層部」での企画立案の参考資料にとどまるのかなど、どのレベルに実質的な最終決定権限があるのかも明らかでない。まして、これまでの敵対党派の活動家に対する襲撃とは趣を異にする本件襲撃計画において、その策定過程がどのようなものであったか、被告人がこれにどのように関わったかを、右の田中供述のみから推論することは不可能である。

田中の供述によれば、同人は、九月一日以降犯行日までの三週間、Aや実行グループのメンバーらと合流、分散を繰り返しながら各地の旅館などを転々とし、被害者方の偵察、監視、襲撃の図上訓練や実地訓練などをしているが、この間、Aの指示で逃走用スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、靴などを購入しているほか、襲撃時に使用するトレーニングウェア、ヘルメット、軍手、ハンカチーフなど、逃走時に使用する偽造の身分証明書、偽名による定期券や名刺などの支給を受けており、また、犯行に際しては移動用のワゴン車、ハンマー、鉄パイプ、トランシーバーなどが使用されているので、実行グループ以外にこれらの資金を調達し、車両、凶器、その他の装備、被服、偽造文書などを用意し、配備する者があったことが窺われ、本件犯行が中核派革命軍によって、計画的、組織的に敢行されたものであることは明らかである。しかし、これらの準備行為などは、その具体的な使用目的や、犯行計画の全貌を知らなくても、その任務に適した者に担当させれば足りることである。現に、原判示第二の乗用車の窃取においても、田中らは、その車両がどのような目的に使用される予定か一切知らされていない。非合法な軍事組織としての性格から、襲撃計画の全貌を知り、その全体を統括する者は極く少数に限られ、他の者は、統括者の指示を受けて、全体像を知らないまま、与えられた任務だけを遂行するということも十分考えられるのである。そして、所論班長会議なるものが存在し、統括者の役割を果しているのか、統括者は更に上級のレベルの者で、個々の班長は、統括者から与えられた任務を処理しているに過ぎないかについては、明確な立証がない(また、被告人が、田中を複雑なルートを通じて横須賀市内のアジトから下妻市、神栖町経由で銚子市に赴かせ、Aに引き合せてフィルムの受渡しをさせ、更に、田中が出来上がった写真をAに引き渡す際にも立ち会って田中に声をかけていることは前示のとおりであるが、これらの事実をもってしても、被告人とAとの間に、小川会長襲撃の計画及び実行の全般について十分な事前謀議が遂げられていたと認めるに由ないことは、原判決が理由中(補足説明)と題する項の三の2の(3)に詳細説示しているとおりである。)。

したがって、被告人が、本件犯行について共謀共同正犯と認められるか、幇助犯にとどまるかは、被告人の組織内部における地位からの推論ではなく、関係証拠によって認められる被告人の具体的な関与行為によってこれを判断するほかないというべきである。

二  被告人の関与行為の評価に関する所論について

1  所論は、被告人が本件フィルム、写真の授受や現像・焼付けに関し果した役割は極めて重要であって、小川会長襲撃計画を実行に移すのに不可欠のものであったと主張する。

被告人の行った具体的関与行為は前記のとおりであるところ、田中をフィルムの運搬役などとしてAのもとに行かせるについて、その決定などに被告人がどの程度関わったのか、被告人は他の者により決定された結果を了承し、それを田中に伝達しただけだったのかが証拠上判然としないことは既に述べたとおりである。田中が持ち帰ったフィルムの現像・焼付けは、N班員のDが中心になって行っているが、これについても、被告人の果した役割が判然としないことは田中についてと同様である。それ故、小川会長の写真の現像・焼付けに関し被告人の果した役割の評価は困難であり、被告人の果した役割が重要であるとは認めるに足りないといわざるを得ない。そして、原判決も説示するように、田中供述によれば、写真は写りが悪かったことが認められ、田中がAに渡した後、写真が本件襲撃計画においてどのように使用されたか不明であることをも考慮すると、小川会長の写真の現像・焼付けに関し被告人の果した役割が、実行行為に劣らない重要かつ不可欠なものであったとは到底いうことができない。所論は採るを得ない。

2  次に、所論は、N班から田中とDが本件犯行計画に参加しているのは、被告人において、両名の特技、特性を見極めて、これに応じた任務に就かせるために選抜し、参加を命令したものであって、適材を選ぶことが作戦の成否を決することになることに照らせば、実行行為に匹敵する重要かつ不可欠の役割を果したものと評価すべきである、と主張する。

しかし、田中やDにフィルムの運搬、現像、焼付けを行わせるについて、被告人の果した役割が判然しないことは前項に述べたとおりである。

そこで、八月三〇日ころの忠実屋上溝店駐車場における被告人の田中に対する参加指示について検討するに、同所での被告人及びAの発言状況は、田中述によれば、田中の持参した写真を見た後、Aが田中に対し「明日から仕事をしてもらうから。」と言い、これに続いて被告人が「そういうことだから頑張ってくれ。」と声をかけたというようなものであったことが認められる。そして、その後田中らが本件強盗傷人を実行するに至るまでの経過から判断して、石両名の発言が田中に対する本件襲撃計画への参加の指示であることは明らかである。そこで、右発言の評価にあたっては、その決定が誰によりなされたか、被告人には独自に判断する余地があったのかが重要な問題である。

被告人の右発言内容からして、被告人が田中の今後の任務を知っていたことは容易に推認することができ、また、田中が被告人の班員であることからして、田中を本件襲撃計画に参加させるについては、被告人に対し事前了解が認められたであろうことも推測に難くない。そして、もし、被告人が小川会長に対し強盗傷人に及ぶことに賛同し、自らの決定として田中に小川会長襲撃作戦への参加を指示したのであるならば、被告人は共謀共同正犯の責任を免れることはできないものと解される。しかしながら、被告人が田中を本件襲撃計画に参加させるについてどの程度その決定に関わっていたかは証拠上判然としない。田中の述べる前記対人闘争の計画から実施までの概要からすれば、被告人も班長としてAから相談を受け、計画の決定過程に関わった可能性は考えられるが、実際のところは不明である。所論は、班長である被告人のその班員である田中との関係が、被告人において田中に、居住するアジト、稼働先、そこで使用する氏名、収入の使途等まで細かく指示するような支配、隷属の関係であったことなどを根拠に、田中を本件襲撃計画に参加させることは被告人が決定したものである旨主張する。なるほど、田中供述によれば、被告人と田中との関係がそのような厳しい支配、隷属の関係であったことが認められる。しかし、そのような日常生活時における班長と班員との関係から直らに班長の支配権が対人襲撃作戦に班員を提供するか否かやその人選の決定権等をも包含するものと推測し得るか否かについては疑問なしとしない。田中供述によれば、Aは首席格の班長で、襲撃計画は同人が中心になって立案され、実行されると聞いているとのことであり、現に、田中が参加した本件襲撃計画及び不発に終わったもう一件の襲撃計画では、Aがこれを主導し、田中ら参加者はAの指揮の下で行動し、被告人は田中の計画参加時と計画終了時とに現れただけであったことが認められ、これからすると、襲撃作戦の計画、遂行やそのための人選等はAの担当する分野で、田中を本件襲撃計画に参加させるか否かを決定するについては、被告人にはあまり裁量権はなかったのではないかとの疑問を否定することができない。所論は、原判決が、直接的には、Aが田中に対し襲撃計画への参加を指示する発言をし、被告人による参加指示はこれを受けて田中を激励するような形でなされたことに意味を認めたのを失当というけれども、右のようなA及び被告人の各地位ないし役割等から判断すると、断定はできないにしても、右発言の順序、内容は、本件襲撃計画におけるA及び被告人それぞれの権限ないし役割を反映したものとみる方が合理的である。

このようにみてくると、田中を本件襲撃計画に参加させることは、被告人が決定し、八月三〇日・忠実屋上溝店駐車場での被告人の発言は、被告人が田中に発した命令であるとの事実はこれを認めるに足りないといわざるを得ず、所論は採るを得ない。

三  共謀共同正犯の成立を主張するその余の所論について

1  所論は、被告人は、班長の立場から自己の班員である田中を自己の分身として強盗傷人の実行部隊に送り込み、背後で操縦、監視していたものであると主張する。

しかし、被告人が田中を実行部隊に送り込んだと評するに足りないことはさきに説示したとおりである。

次に、日常生活時における被告人と田中との関係が、班長である被告人においてその班員である田中の居住、稼働、金銭の使途等まで細かく指示するような支配、隷属の関係であったことはさきに認定したとおりである。また、田中供述によれば、被告人は、本件強盗傷人犯行の翌日、田中が犯行前に託した所持品を携帯して、田中が犯行前日A又は甲から指示されていた待ち合わせ場所に現れ、「作戦は成功だった。任務は解除する。」との趣旨の発言をしたことが認められ、この事実に徴すると、被告人は田中を出迎えるにあたりAから直接又は間接に連絡を受けており、襲撃作戦の結果も聞いていることが推認される。しかし、田中供述によれば、田中が対人襲撃作戦に参加した後は、前回も、今回の本件襲撃作戦においても、被告人が途中で現れ、田中に指示を出したようなことは一切なく、田中としても、作戦に従事中はその主導者であるAの指揮下で行動している意識であったことが認められる。また、襲撃作戦終了後、Aが被告人に田中を引き渡す関係で連絡を取り合った点を除き、襲撃作戦進行中、Aが被告人と随時連絡を取り合っていたことを示す証拠はない。そうだとすると、田中が小川会長襲撃作戦に従事中も、被告人が背後で田中を操縦、監視していたとみることは困難であり、所論は採るを得ない。

2  次に、所論は、本件強盗傷人は中核派革命軍が組織を挙げて敢行した犯行であるところ、被告人が、その幹部として本件襲撃計画に具体的に関与し、本件強盗傷人を積極的に推進していたことなどからすると、被告人には、他の構成員の行為を利用して自己の意思を実行に移す考えがあり、共謀共同正犯が成立すると主張する。

検討するに、前記のとおり、中核派では、昭和六三年夏ごろには、新東京国際空港拡張工事のため、同年秋にも千葉県土地収用委員会の裁決手続が開始されるのではないかと予測し、これを何としても阻止しなければならないとの考えから、その革命軍によって、本件強盗傷人を実行したものと推測される。そして、押収してある「日刊三里塚」三〇三五号<押収番号略>、同「前進」一四〇二号<押収番号略>、同「前進」一四〇三号<押収番号略>及び前掲各「前進」並びに田中供述を総合すると、中核派ないしその革命軍では、本件強盗傷人を極めて重要な作戦と考えており、周到な計画のもとに組織の力を結集して行ったことが窺われる。しかし、中核派革命軍の構成、人数、指揮命令系統等は判然としないし、作戦は秘密のうちに進められる必要があり、後方支援も含め、作戦遂行に必要な人数は限られたものになると考えられるから、中核派革命軍のうちどの範囲の者がこれに関与したかは定かではない。それ故、本件強盗傷人の実行において、同じ中核派革命軍の構成員であっても、その地位、役割等により、知情の有無・程度、具体的関与の有無・程度は、構成員ごとに様々であった可能性を否定することはできない。そして、被告人については、写真の授受、襲撃作戦への参加指示(実質は、参加指示への関与ないし激励)などの関与事実は認められるが、これらの行為がいまだ実行行為ないしそれに準ずる重要性のある行為、あるいは田中を自己の分身ないしは手足として作戦に参加させた行為と評するに足りないことは既に説示したとおりである。それ故、これらの関与事実から直ちに被告人が犯行の謀議に加わったと推認することはできない。また、以上検討してきたところからすれば、被告人の組織内の地位、右各関与行為や犯行後に果した役割等を総合考慮しても、被告人がAらと本件強盗傷人を共謀したとの事実はこれを推認するに足りないといわざるを得ない。

3  また、所論は、中核派革命軍のような犯罪をも辞さない団体による組織的犯行の場合には、団体そのものが闘争目標達成のために一個の共同意思主体を形成していたとみることができ、団体の幹部や組織の活動を積極的に推進した構成員はすべて正犯に該当すると判断すべきであるとも主張する。しかし、中核派革命軍自体が所論のような集団であるにしても、これが特定の犯罪を実行する場合における個々の構成員の役割ないし関与の程度は区々であろうから、共謀による正犯か否かが問題となった場合には、結局は、個別的にその者の地位、権限、関与の有無・程度等を検討し、その者が謀議に加わり実行行為者の行為により自己の犯罪を実現したと評し得るか否かを判断するしかないのであって、団体の幹部であること、内心において実行行為者らとの一体感を有し、その者達による犯罪の実現を期待していることなどは、その際における一判断要素にとどまるものというべきである。そして、このような観点から検討した結果が前記のとおりなのであって、所論にはにわかに同調し難い。

四  結論

以上のとおり、被告人の各関与行為を認定し、これらが本件強盗傷人を幇助するものであるとした原判決の認定判断は、正当として是認することができ、所論のような事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

第五  原判示第二(窃盗)の事実に関する弁護人らの論旨について

論旨は、要するに、原判決は、田中供述に依拠して、本件窃盗の犯行についての被告人の個々の関与行為を認定し、これらを総合して被告人に共謀共同正犯の刑責を認めているが、前叙のとおり田中供述の信用性は極めて疑わしく、殊に本件窃盗についての同人の記憶は不鮮明であるから、被告人の原判示関与行為は認めるに足りず、仮にこれらが認められたとしても、その大半は窃盗の予備行為への関与に過ぎず、これらを総合しても到底共謀共同正犯の刑責を肯認するに由ないところであるとして、原判決の事実誤認を主張するのである。

そこで、検討するに、原判決がその理由中(補足説明)と題する項の四の1に摘示する被告人の関与行為は、大要次のとおりである。

ア 被告人は、一〇月下旬ころ、当時田中が同じN班員(以下「C」という。原判決にいう「丙」)と居住していた神奈川県秦野市所在のアジトに自動車のナンバープレートを偽造するための資材を搬入するとともに、田中に対し、一一月上旬に仲間が来てナンバープレートを偽造するのでその作業を見ておくよう指示した。その後、Eほか一名(以下「F」という。原判決にいう「戊」)が同アジトを訪れ、土浦ナンバーのナンバープレートを偽造した。

その後間もなく、田中は、被告人からCを通じて、ナンバープレートの金型の作成を指示され、同月一〇日ころ、E、Fと共に同アジトから資材を持ち出して河口湖畔の貸別荘に移動し、いわきナンバーのナンバープレートの金型を偽造したが、右移動の途中で被告人が現れ、田中らに激励の言葉をかけた。

二日くらい後、被告人が右貸別荘に来て宿泊し、田中に対し、Eと共に右金型を使用してナンバープレートを作成するよう指示した。そこで、田中は、同月下旬、秦野アジトにおいて、Eと共にいわきナンバーのナンバープレートを偽造した。

イ その後、田名は、Cを通じて指示を受け、一二月三日、偽造したナンバープレートを持って東京都青梅市に行き、被告人と出会い、同福生市辺りのファミリーレストランの駐車場に連れて行かれた。そこには、自動車内でFが待機しており、被告人は、田中に対し自動車の窃盗を指示するとともに、Fに対し田中が持参したナンバープレートを渡し、これを窃取した自動車に付けるよう指示した。また、被告人は、この作戦に加わる者が、F、田中及びEほか一名(以下「G」という。)である旨の話をした。

ウ 被告人が去った後、田中及びF並びに近くの駐車場に止めた自動車内で待機していたE及びGの四名は、東京都西多摩郡奥多摩町方面に移動し、自動車窃盗の役割分担を決めるなど具体的計画を立てて準備し、同月五日、四名で現場付近に赴いて本件窃盗を敢行し、逃走途中でナンバープレートを付け替えた。

エ 被告人は、右犯行後、群馬県山田郡大間々町において田中と会い、任務の終了を告げるとともに、同月三日に同人から預かった貴重品を返還した。

右事実摘示が全面的に田中供述に依拠するものであることは、所論のとおりである。

所論は、田中供述の信用性を争うが、これが認められることについては、さきに強盗傷人幇助の事実に関して説示したとおりである。そして、本件窃盗に至る事実経過の細部において、田中の記憶に不鮮明な部分があることは否めないが、そのことは、右に摘録した限度で被告人の関与行為を肯認する妨げとなるものではない。

次に、所論は、仮に本件の事実関係が原判示のとおりであるとしても、被告人の関与行為の大半は窃盗の予備段階におけるものに過ぎず、被告人は、本件窃盗の具体的実行方法の謀議にも加わっておらず、窃取すべき車両の選別やその届け先を承知していたと認むべき事実が窺われないことに照らせば、その関与の程度は、幇助犯と認定された前示強盗傷人の場合を超えるものではないこと明らかであるから、共謀共同正犯の成立を認めた原判決の判断は誤りであるというのである。

しかし、原判示第一の強盗傷人の場合と異なり、本件自動車窃盗は、それ自体で完結した一個の作戦ではなく、他に計画されていたと考えられる何らかの作戦のための予備的行動に過ぎないものと認められるから、班長レベルの者にその実行の指揮が委ねられることは十分あり得るところであり、前示ナンバープレート偽造用の金型作成から自動車の窃取に至る事実経過が、計画に従った一連の組織的行動であること、被告人がナンバープレートの作成において指導性を発揮したことが明らかであるところ、本件自動車窃盗の計画において、ナンバープレートの作成は相当の重要性を有するとみられること、被告人は田中に窃盗実行グループへの参加を指示していること、犯行当日、田中らの逃走先に現れて、同人を迎えており、自動車窃取後の段取りについても掌握していたと推認されること、被告人が中核派革命軍内において班長の地位にあることなどを総合すると、原判決が、被告人は右計画を主導した者と推認したことは首肯することでがきる。所論指摘の事実のうち、実行メンバーによる窃盗実行の具体的方法についての協議に被告人が加わっていないとの事実は何ら右推認の妨げとなるものではなく、所論のような未解明の部分が存することも、被告人の実行者らに対する指導及び支援状況にかんがみると、被告人が本件自動車窃盗の範囲内では主導者であると推認することの支障とはならないというべきである。

それ故、被告人は、田中らへの指示などを通じて実行メンバーと謀議を遂げ、実行メンバー四名により自らの犯罪として本件窃盗を実現したとして、被告人を本件窃盗の共同正犯とした原判決の認定判断は、正当として是認することができ、所論のような事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

第六  結語

よって刑訴法三九六条により本件各控訴をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官半谷恭一 裁判官新田誠志 裁判官浜井一夫)

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